御詠歌  梓弓 いる矢の堂に 詣で来て 願ひし法に あたる嬉しさ

岩之上堂から徒歩約10分、畑道を行き車道にでて左折すると二十一番の石柱がある。
大正12年(1923年)隣接した小学校の火災により類焼したが、
その後廃寺を移築したのが現在の本堂である。
境内には真言曼荼羅供養塔、弁財天石塔、芭蕉句碑、宝篋印塔などが並ぶ。
堂前の道端には地芝居役者の座長、中村十九十郎の供養碑があり、
地芝居隆盛の昔を偲ぶこともできる。

矢乃堂の由来

ご詠歌にも詠われるように、当寺は矢乃堂ともいわれている。
行基菩薩がこの地をおとずれ八幡宮の社地に聖観音像をまつろうとしたところ、
悪鬼たちがこれを邪魔をした。
この時、八幡神が現れ神矢を放って悪鬼たちを追い払ったという縁起や、
古くはこの堂は矢納の地にあったものをこの地に移したものとする説
(矢納村の村名は日本武尊が東征のとき矢を納め社を建てた場所)、
あるいは平将門が矢を納めた場所とする説など諸説がある。

火除けの観音様

観音寺は、火難に対して霊験があるといわれている。